2月27日に安倍首相が、新型コロナウイルス感染拡大の防止を目的に、3月2日から春休みまで全国の小中高校などを臨時休校とすることを要請した。
その時、コロナの騒ぎが春休み明けで治まるとは考えなかったが、実際に休校期間は延長を繰り返し、現在は、5月末までの休校が決まっている。
我が家には、小学校の中学年と低学年の子供がいるが、休校の影響で学校のカリキュラムに対しては間違いなく遅れを生じている。このことはとても気になる。もしも、子供が中学、高校生や大学生なら更に大きな心配事になっていたと思う。オンライン授業など授業の形態のパラダイムシフトが急激に起こるのではと期待していたが、残念ながら、小学校ではすぐには変化は起こりそうにない。今後、この遅れを取り戻すよう学校、親、子供で取り組んでいかなければいけない。
休校の間、子供たちの学校だけでなく、習い事など家庭外の活動も全般的にストップしている。我が子は、まだ学習の習慣化ができておらず、外からの働きかけがなければ自ら机に向かうことは少ない。テレビ、Amazon プライム、Youtube、タブレットゲーム、工作などと好きなことを中心にしている。
私に置き換えると、これぐらいの年代の時、机の前に座って過ごすことは窮屈であった。また、勉強していることがどのようなゴールにつながっているかもよく分からなかったため、勉強に対するモチベーションもあまり高くなかった。
あの頃はどういう気持で勉強をしていたのだろう。改めて考えてみると、「学校で問題が解けた時に一番に手を挙げて当ててもらうこと。」、「テストでよい点をとって褒められること。」、「写生大会で賞をとること。」など、他者依存の「外的動機づけ」でなんとかやっていたようだ。
外出自粛で自宅で過ごす時間は、友達、先生や社会との関わりが少ない。このような環境では、自分自身のポジションや役割を感じられないし、先の外的な動機づけもされにくいことが予想される。
今この与えられた時間をいかに過ごすか。時間は有限だから、最大限有意義な使い方をして欲しいと思う。仮に「有意義な時間」を、「人生に対してプラスのインパクトを与える時間」と言うならば、勉強をすることは有意義である可能性が高い。しかし、子供にとっては、勉強だけでなく、全ての活動や行為が有意義であると思っている。言い訳かもしれないが、そう思って子供たちが好きなことをやっているのをある程度黙認している。
ただ、全てを子供任せにするのは親として無責任だし、この状況に対して無策と思う。
時間を価値あるものにするために私が意識しているのは、生活面では規則正しい生活を維持させて行くこと。スキル面では、まだ学校ではあまりやっていないパソコンに慣らすこと、の2つである。
後者については、パソコンの使用が不可欠な時代だから、早く慣れておいて欲しいという思いがある。私自身もパソコンを早く触る機会があってよかったという体験がある。
私は、今から約35年ぐらい前の中学生のときに、当時としては比較的珍しくパソコンを触れる環境にあった。従兄弟が大学の研究のために買ったパソコンを触らせてもらう機会があった。パソコンは、NECのPC-8001 MKⅡで、記憶媒体はカセットテープであったことを覚えている。BASICでプログラミングをしたり、ゲームをしたが、パソコンを触ることは無条件に面白かった。この体験のおかげで、大学や、会社で、パソコンを触ることに抵抗感がなかった。「やったことがある。」という体験は、ハードルを下げてくれる。
私は、パソコンに子供用のIDを作り、背景には子供の好きな「すみっコぐらし」を設定した。デスクトップにタイピングのソフトへのショートカットを準備したり、Excelで計算やグラフの課題を作ったり。。
「楽しい」、「面白い」など内発的な動機づけによってパソコンを触ってもらえるよう、作為的にしかけている。そして、時々は触っているようである。
休校はしばらく続くが、作為的なことも行いながら、動機づけされた活動を目一杯やって欲しいと思っている。