毎朝の窓開けに思うこと

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 毎朝私の職場では、リハビリ室の東西の窓を開けて換気をしている。この4月からは、コロナ対策の一環として、南北の窓を含め、いままでの約3倍の窓を開けて積極的に換気をしている。

 その作業は毎朝私が出勤してすぐにやっていたのだが、最近は私よりも早く出勤している職員がやってくれるようになった。

すーさん

私が毎朝窓を開けている姿を見て、ようやく自ら動く気になってくれたのか。。。

 しみじみ思っていると、むかし愛読していた「みんながこうしたら」という本の中の物語を思い出した。

 私が小学校1年生であった1976年に、母親か叔母が「みんながこうしたら」を買ってきてくれたと記憶している。表紙には、子供の絵と葉っぱが描かれていた。「みんながこうしたら」は、道徳の物語集である。何度も繰り返し読んだお気に入りの本だったが、今はもう手元にない。いまでも発行しているのだろうかと調べてみたが、絶版となっているようで、Amazonで検索しても見つけることはできなかった。

国立国会図書館 https://www.ndl.go.jp/

のホームページで検索すると、出版社、発行年、目次などの情報をみることができた。

みんながこうしたら
みんながこうしたら

みんながこうしたら : こどもの道徳 1年生 日本児童文芸家協会 編, 松井行正 等絵 金の星社, 昭和33

 さて、私が思い出した話のあらすじは、おおまかには次のようなものである。

 人々が山を越えるのに苦労していることを知った旅のお坊さんが、トンネルを掘ろうと決意し、槌とノミを持って岩を掘り始める。人々は、無謀なことだと思って協力しなかったが、お坊さんが何年も岩を掘っている間にトンネルが深くなってくると、みんなが協力を始め、ついにトンネルが貫通する。

話の題名は記憶になかったが、国立国会図書館の検索結果から、

「いわを ほる ぼうさん」という題名で、「世のため、人のため」というテーマがついていたことが分かった。作者は宮脇紀雄とある。

 ちなみに、その後大きくなってから分かったのだが、この話は菊池寛「恩讐(おんしゅう)の彼方に」にとても良く似ていた。「いわを ほる ぼうさん」は、「恩讐の彼方に」を小学生向けの道徳用物語にしたものなのだろう。

 

 そして、この岩を掘ってつくられたトンネル(隧道)が実際に大分県の中津市にあり、「青の洞門」と呼ばれていることや、托鉢で資金を集めた禅海和尚が、石工を雇って掘り続け、30余年かけて全長342m(うちトンネル部分は144m)のルートを作ったことも知った。

青の洞門(入口)
青の洞門(入口) 提供元 (一社)中津耶馬渓観光協会

青の洞門(全景)
青の洞門(全景) 提供元 (一社)中津耶馬渓観光協会

中津耶馬溪観光協会 https://nakatsuyaba.com/

 さて、職員が窓を開けるようになったエピソードからなぜこの物語を思い出したのか。

(a)私が毎朝窓を開けていたら、(b)他の職員も窓を開けてくれるようになった。

(A)お坊さんが岩を掘ってたら、(B)みんなも協力してくれるようになった。

という流れが似ているからだろう。

 ここで、なぜ(a)から、(b)の流れになったのか?、本当にそこに因果関係があるのか?を自分なりに振り返ってみた。

 「恩讐の彼方に」では、人々がお坊さん(了海または市九郎)に協力する過程(「掘り出してからの年月」「成果(トンネルの深さ)」と、「その時の人々の反応」、は次のようになっている。ちなみにトンネルの深さの単位は「丈」(約3m)、または「間」(約1.8m)であり、全体の深さは三町(327m)を超ゆる、とある。

①着手時(0丈)
 「とうとう気が狂った!」と、行人(道を行く人)は、嗤(わら)った。

②1年後(約1丈 = 約3m)
 近郷(近くの村里)の人々は「一年の間、もがいて、たったあれだけじゃ……」と嗤った。

③3年後
 村の人たちは、もうなんともいわなかった。彼らが嗤笑(ししょう)の表情は驚異のそれに、驚異はいつの間にか同情に変っていた。

④4年後(5丈 = 約15m)
 里人は熱心に驚いたものの、徒労に合力するものは、一人もなかった。

⑤9年後(二十二間 = 約40m)
 里人は、初めて市九郎の事業の可能性に気がついた。里人は自発的に開鑿の寄進に付いた。

⑥翌年
 はかどらぬ工事に、いつの間にか倦(あ)ききっていた。市九郎と槌を振る者がついには一人もいなくなった。

⑦12年後(六十五間 = 約117m)
 彼らは、再び驚異の目を見開いた。彼らは、過去の無知を恥じた。市九郎に対する尊崇の心は、再び彼らの心に復活した。

⑧13年後
 里人たちは、いつかしら目先の遠い出費を、悔い始めていた。寄進の人夫は、いつの間にか、一人減り二人減って、おしまいには、市九郎の槌の音のみが、洞窟の闇を、打ち震わしていた。

⑨18年後(岩壁の二分の一を穿った)
 里人は、この恐ろしき奇跡を見ると、もはや市九郎の仕事を、少しも疑わなかった。彼らは、前二回の懈怠(かいたい)を心から恥じ、七郷の人々合力の誠を尽くし、こぞって市九郎を援け始めた。

「恩讐の彼方に」考察

 人々は、トンネルの完成が無理だと思っている間は協力しなかったが、可能性が見えてくると協力した。トンネル貫通によるメリットを享受できるという雰囲気が強くなると協力する。同情だけでは、行動にはならなかった。

職員ははぜ窓を開けてくれたのか?

 自分のケースに置き換えて、なぜ、職員は窓を自ら開けてくれたのか。それによって彼らにどのようなメリットがあるのかを考えた。

  • 感染リスクが減少する。
  • 行動を評価される。
  • 窓を開けると気持ちがよい。

 しかし、これらのメリットがいかほどのモチベーションになるのだろうか?

 いろいろと考えているうちに、ふと思ったことがある。なんだかんだで今はもう5月。気温も随分高くなっている。

すーさん

 あまり考えたくはないが、実は、暑いから自分らで窓を開けるようになっただけなのかもしれない。。。

 その結果は今年の冬のインフルエンザの季節になれば分かるだろうが、寒い季節に職員が窓を積極的に開けてくれているという自信はない。。。

 ただ、窓開けだけでなく、やった方がよいことは、損得を考えずに自ら動くことを続けたい。